介護士として働いてから、家では話さなくなった本音
はじめに
介護士として働くようになってから、家族や友人に、仕事の話をあまりしなくなった──
そんな感覚を持つ人は、意外と多いのではないでしょうか。
「大変だったね」と言われても、うまく言葉が返らない。詳しく話そうとすると、誤解されそうな気がして口を閉じてしまう。
結論から言うと、それは冷たくなったからでも、心が壊れたからでもありません。
「介護士という仕事が持つ“立ち位置の特殊さ”」が、そうさせているのだと思います。
この記事では、介護士として働く中で生まれる「家では話せない本音」について、感情を煽らず、静かに整理してみたいと思います。
この記事でわかること
- 介護士が家族に仕事の話をしなくなる理由
- 仕事の介護において「距離」が大切な理由
- 医療と介護の違いから見える、介護職の立ち位置
介護士として働いてから、家族や友人に話さなくなった本音
話せないのではなく、話さなくなった
介護の現場で起きることは、外から見ると「大変そう」「つらそう」に見えるかもしれません。でも、実際に働いていると、一つひとつを感情的に受け止めているわけではない場面も多くあります。
説明しようとすると、
- 相手を驚かせてしまいそう
- 重たい話になってしまいそう
- 本意とは違う受け取られ方をしそう
そんな気持ちが先に立ち、話せないのではなく、話さなくなっていく。それは自然な変化です。
「大変だったね」と言われても言葉が返らない理由
家族や友人の「大変だったね」という言葉は、本来は思いやりから出たものです。
それでも、介護士側としては、「そういう話ではないんだけど…」と感じることがあります。
それは、すでに職員として気持ちを整理し、現場の一部として受け止めている出来事だから。
共感が足りないわけでも、気持ちが冷めているわけでもありません。立っている場所が違うだけなのです。
心が慣れてしまう、という感覚
最初はつらかったことが、日常になる
排泄介助、夜勤、看取り、認知症の対応──
働き始めた頃は、強く心を揺さぶられた出来事も、次第に日常の一部になっていきます。
それを「慣れてしまった」と感じ、自分は冷たくなったのではないかと不安になる人もいます。
慣れ=冷たさ、ではない
けれど、この“慣れ”は、無関心になったという意味ではありません。仕事として介護を続けるために、感情を調整する力が身についた状態とも言えます。
感情をすべて正面から受け止め続けていたら、仕事は長く続きません。
心が慣れることは、守るための変化でもあるのです。
家族介護と、仕事としての介護の決定的な違い
扶養義務としての介護が抱えるもの
家族が親を介護する場合、そこには扶養義務や感情的な責任が強く伴います。
- 逃げ場がない
- 後悔や期待が入り混じる
- 感情の揺れを避けられない
家族介護は、とても重く、尊いものです。
仕事の介護は、思いやりを持って距離を置く
一方で、仕事としての介護は、利用者を大切にするために、距離を保つことが前提になります。それは冷たさではありません。
- 見放すことはないが、抱え込まない
- 無関心ではないが、のめり込まない
- 家族にはならないが、尊厳は守る
思いやりを持って距離を置く。それが、専門職としての介護です。
家族介護と仕事としての介護の違い(整理)
| 視点 | 家族介護 | 仕事としての介護 |
|---|---|---|
| 関係性 | 家族・身内 | 専門職と利用者 |
| 責任の性質 | 扶養義務・感情的責任 | 契約に基づく職務責任 |
| 感情の距離 | 近くなりやすい | 意識的に距離を保つ |
| 判断の基準 | 気持ち・後悔・期待が混ざる | 専門性・安全・ルール |
| 継続の前提 | 無理が出やすい | 続けられる仕組み |
距離があるからこそ、安定した支援ができる
適切な距離があるからこそ、
- 感情に振り回されにくい
- 判断がぶれにくい
- 安全で継続的な支援ができる
結果として、利用者の尊厳を守ることにつながります。
医療と介護の違いから見える、家族の感覚
家族が親を病院に預けるとき、多くの場合は「医療の専門職に判断や処置を委ねる」という感覚を持っています。治療の内容や経過について説明を受け、判断は医師に任せる。
そこに「家族のように接してほしい」という期待は、それほど強く重なりません。
一方で、介護施設に親を預けるときには、生活の世話だけでなく、気持ちの部分も含めて見てほしい、という思いが重なりやすくなります。
この感覚の違いから、
介護職は専門職でありながら、家族的な関わりも期待されやすい
という立場に置かれます。
それは家族のわがままではなく、介護という営みが「生活そのもの」に関わる仕事だからこそ生まれる自然な感覚なのだと思います。
感情移入しすぎる介護が抱える危うさ
距離が近すぎると起きやすい心の変化
利用者を家族のように思いすぎると、
- 期待が生まれる
- 応えてもらえないと苦しくなる
- 自分だけが背負っている感覚になる
これは、やさしさゆえに起こる変化です。
境界線が崩れたときに現場が不安定になる
境界線が曖昧になると、疲労やストレスが感情に直結しやすくなります。
虐待やトラブルの背景には、人手不足や環境要因だけでなく、距離の取り方を教わっていないことが重なっている場合もあります。距離は、冷たさではなく、安全装置です。
なぜ「家では話せない本音」になるのか
介護士は、
- 個人(私人)としての自分
- 職員(専門職)としての自分
この二つの立場を行き来しています。しかし一般には、この二重の立ち位置が理解されにくい。家族に話すと、職員としての判断や距離感が、「(個人として)冷たい人だな、親身でないな」といった見方に置き換えられてしまうことがあります。だから、説明しない。話さない。
それは、理解を諦めたのではなく、相手を困らせないための選択なのかもしれません。
Q&A
Q1. 介護士が仕事の話を家族にしなくなるのは、心が冷えたからですか?
A. いいえ、そうとは限りません。
仕事として介護に向き合う中で、感情を整理し、距離を保つ力が身についた結果、あえて話さなくなる人もいます。それは冷たさではなく、仕事を続けるための自然な変化です。
Q2. 利用者に感情移入しすぎないのは、失礼ではありませんか?
A. 感情移入しすぎないことは、無関心とは違います。
利用者の尊厳を守り、安定した支援を続けるために、思いやりを持って距離を保つことは、専門職として大切な姿勢です。
Q3. 家族介護と仕事としての介護は、なぜこんなに感覚が違うのですか?
A. 家族介護には扶養義務や感情的な責任が伴いますが、仕事の介護は専門職としての役割と距離が前提になります。
立場の違いが、感じ方や受け止め方の違いを生んでいます。
まとめ
介護士が家で話さなくなった本音は、心が冷えたからではありません。
- 専門職として距離を学んだこと
- 個人と職員の二重の立ち位置を生きていること
- 思いやりを持って線を引いていること
その結果、生まれた静かな変化です。もし同じ感覚を抱えているなら、それはあなた一人ではありません。
介護の現場で身についたその感覚は、やさしさを失った証ではなく、続けるために育った力なのだと思います。
